晋さん、米田さんきたる。
2月は村井さん率いる京都女子大学、東京学芸大学大学院の来校に引き続き、石川晋さん、筑波大学大学院から米田真琴さんが来てくださいました。充実の2月です。
石川晋さんのブログより。
https://suponjinokokoro.hatenadiary.jp/entry/2019/02/15/001754
"それで思うのは、結局そうした気づきって、一巡した向こう側で起こるのかもということです。なんというか、面白さや驚きに心を動かされた後・・・そこを通り過ぎて普通になってしまった後・・・そこも通り過ぎた向こう側で見えてくるのかも、と。"
そうそう。実は僕も同じところがもっとも気づきがあったんです。一年前、二年前にそこに気づけていたかというと分からないな。
もうこんな授業はやめちゃおうかなとか、結構思うことも多かったんだけど、やっぱり子どもにコントローラーを手渡すということを続けていくから、色んなことが起こるし、色んなことが見えてくるんだと思います。
もう少し詳しく書くと、2クラスで同じようにおしゃべりする時間をとった時のこと。
地震の1時間目だからちょっとおしゃべりをしよう、自分なりのスタート地点に立とうねってことで。
あるクラスでは、すぐに地震の話をし始めたけど、しばらくするとぱらぱらと剥がれるように飽きた模様。そこで僕からの画像を用いたインストラクションに。
一方で次のクラスでは、最初はほとんど関係のないおしゃべりがあちらこちらで始まり、、いつまで続くのやらという感じに…こちらも待つわけだけど、まぁ待ちくたびれた頃にいよいよ地震の話題があちらこちらから起こり教室の熱量が上がっていきました。
晋さんは雑談力と言っていたけれど、雑談すらさせられているという受け身な状況があるのかもしれないな。
この2つの状況を見たときに、後者のクラスの動きは本当に面白く映ったわけです。
「そう来るのねぇ、、」って。
多くの場合、待ちくたびれた時点で、おいおい君たちちょっとまってくれよと指導してしまうことでその先は見れないことが多いと思うんだよね。
もちろん、どちらのクラスも多くの人はけしからんと思うんじゃないかなーって。きっと授業者も思う。(時々、僕自身も思う。笑)
でも、だからといってこれはダメだ…とおもってすぐにやめてしまえばその先は見えてこないと思うんです。方法は変化させつつも一貫して進んで行くべきかなと思う。
だから本当に繰り返し試行錯誤を重ねて、それが特別じゃなくて当たり前になったときに、やっと本当のところが見えてくるみたいなことってたくさん起きているんだよね。
その店の定番メニューにこそ、その店の味が出るってことかしら。
米田さんのメモも有り難い。こういう方と授業を見ると本当に面白いし勉強になります。紹介しますね。
"1.ざわざわの中でも先生の声が大きくなり過ぎない。ほどよく感じられる声。
2.◯組は移動して話す人が少ない。ペアの距離は近い。
3.関係ない話をするのは良くないといった、他者を規制する発言が気になる。相手の反応を受け止める練習が必要?
4.◯組よりは男女の混ざりが多い?
5.タブレット見入ってた子達の姿勢が、フローでいい
6.△組◯◯くんのバタフライ具合が絶妙。渡り歩いて問題探ししてる?
7.プレートの説明していた女の子が見た限り唯一身体的に話をしていた。
8.質が低いのかもしれないけれど、自分たちの生活に根ざしながら、実感を大事にして学びを引きつけることが必要なのかも…
9.個別の問い立ての力を育てるためにも、問いの共有が必要なのかもしれない。
10.彼らには彼らなりにしあわせに暮らす方法があるのだなと思う。
あとは、石川先生もおっしゃっていましたけど、3.11に対する中学生の感覚も見えることがありました。結構丁寧に単元組んでもいい題材かもしれないなと私は思います。中学生の生活にはしごをかけて問題につながれるような、問いや題材、体験が必要かな。四月以降にチャレンジしたいことです。貴重な機会をいただきました。"
ありがたや。
10.彼らには彼らなりにしあわせに暮らす方法があるのだなと思う。というのにはグッときたなぁ。
僕が常に考えてきたことでもあるんだよね。
というか、それを第一にやってきたとも言えるんだ。これは多分、教室に足を運んでくれて一緒に話をした人にしかわからないかも。
そしてまた、3.11を授業で扱ったことに関して、丁寧に単元を組んでも良い題材かもしれないというのは僕もそう思っています。
晋さん、米田さん、また来月。
これが本当に最後になります。