日々の記録

遊ぶことと学ぶこと。学ぶことと成長すること。日々を幸せに生きること。ちょっとしたことを綴っていきます。

授業≒遊び

今年度のキーワードは
「問い」「対話」「遊び」

おそらく授業を5分だけのぞいたら、遊んでるだけじゃないの?と見える子たちも多くいると思う。

でも、それをつなぎ合わせていくと、ものすごく学びが積み重なっていることがわかってきた。

例えば、今やっているのは水溶液。
さまざまな物質で再結晶を繰り返す。
温めた水溶液を冷やしながら結晶を楽しむ。
この辺りは教科書通り。
ルーペで見る、顕微鏡で見る。
☆お。ここでも顕微鏡つかうのね〜。生物分野で使ってから、顕微鏡も得意になっちゃったね。

そして、誰かが思いつく。

ろうを加熱して、水の中に入れて見ない?
溶けるのかな?
いや、固まるでしょ?
ちょっとやってみようよ。
☆そうかそうか。ろうは状態変化の単元で使ったもんね。どうぞどうぞ。

お!すごい!全く沈まないじゃん!!
そうか。。水より密度が小さいのか…!
☆そうだよねぇ。密度もやったもんねぇ。

これさ、ちょっと燃やしてみようよ。
水の上でも燃えるのかな?
うわー燃えたよ!
水があっても消えない消えない!
すごー!
☆そうだよね。有機物ってやったもんね。っておいおい、すごすぎないか。単元が繋がってるじゃないのよ。

これくらい色々なことが繋がるし、問いが問いを呼ぶ。じゃあこれは学習指導要領のどこなんだよ?って言われたらその瞬間ではまらないかもしれないんだけど、もう少し長いスパンでみれば確実に繋がる。この遠回りが学ぶってことなんじゃないのかな。もちろん学習指導要領はしっかり押さえますよ。もちろん。

これは「今日は◯◯の実験をやりまーす」では絶対に無理なんだな。今日は◯◯の実験ね!という枠の中でスタートするんだから。こういう枠が見知らぬうちに子どもの学びを狭いものにしてるんじゃないのか?
じゃあそうじゃない枠ってなんなの?っていったら「問い」だと思うのよ。

僕はこの「問い」の扱いが、ここ数年間、本当にわからなかったんだけど、少しずつわかってきた。
最初はどう扱おうとか、大人が選ばなきゃとか、付け足してあげるとかもしたんだけど、そうじゃないんだな。扱うとか言ってる時点でおかしかったのかもしれない。

ものすごく自然なものなんだってことがやっと分かった。
はじめは「問い」なんて言われても、なんのことやらって感じだったけど。
子どもたちからしてみれば感覚が鈍ってるだけなんだと最近は思う。あまりにも受け身で学びすぎてきたので。
最初は問いを(出させる)だったかもしれないんだけど、いよいよ勝手に出てくるようになる。
感覚を取り戻すんじゃないのかな。
小さい頃に、ねぇなんで空は青いの?って言ってたように。多分そう言うことなんだと思う。

その問いを自由に扱うようになると本当に遊んでいるみたいになるよね。
ドキドキとワクワクが止まらない感じに。

でもこれはこっち(教師側)の覚悟もちょっと必要なわけで、おい!こら!もうすこしちゃんとやれよ!的な雰囲気(授業中なんだから!等々の学校的なもの)を出してしまった時点でアウトなんだなぁ。先生が最後までニコニコと穏やかにいられるかがすごく鍵になると思う。
あとはどれだけ、子どもの姿から気づけるか。

授業ってみんなで遊ぶことなんじゃなかろうか。f:id:inotai23:20171030214616j:image