学習指導要領は抑えられるのか
よく聞かれることです。
今日はそこに答えておこうと思います。
知識はちゃんと身につくの?とかもアルアルです。
知識ってそんなに大事なの?って僕は聞きたいけど。。まぁそれは一旦、置いておきます。
こんなに学習指導要領を読み込んでる中学生は中々いませんよ。だって質問の焦点が学習指導要領なんだもの。
一年生は目標のみ。
二年生は2年目でもあるので、さらに説明文も追加。
ボリュームを上げて本文の量を増やしてみました。
問いの出かたに変化がありそうです。
焦点が具体的になれば、さらに細かい問いが出やすくなるのは当たり前ですね。どっちが良いかはまだわかりません。これから検討が必要だな。
最後は問いと学習指導要領を紐付けます。
プリントの様子ですね。
これが結構、大事なプロセス。
問いを選ぶ基準を「目標を達成できる問い」としていたら生徒が考案してくれました。あまりに良かったので他のクラスでも採用しました。
もちろん、学習指導要領に直接結びつかないような問いも無駄にはしません。ワクワクする問いとして、大切にしていきます。
そして、ミニレッスンNo3で探究計画を立てました。
これでやっとスタートが切れました!
結局、授業が一番大切な時間なのだ。
また来週も頑張ろう!
「科学者の時間」スタート!
今年度の理科は「科学者の時間」として実践します。
最近では広く実践されるようになった「作家の時間」を「科学者の時間」として読み替えた実践です。僕にとっても一つのチャレンジです。
作家の時間はこちら↓
作家の時間―「書く」ことが好きになる教え方・学び方(実践編) (シリーズ・ワークショップで学ぶ) https://www.amazon.co.jp/dp/479480766X/ref=cm_sw_r_cp_api_i_eqL3Ab22373WT
科学者の時間では
①ミニレッスン
②問いを探究する時間&カンファランス
③共有の時間
として進めます。
導入段階なのでまだまだ問いの探究までいきません。問いをつくる練習からいかなくては!
問いの作り方はこちらを参考に。
たった一つを変えるだけ: クラスも教師も自立する「質問づくり」 https://www.amazon.co.jp/dp/4794810164/ref=cm_sw_r_cp_api_i_0NL3AbQ7W3PNC
配ったプリントはこんな感じ↓
①ミニレッスンNo1〈問いのつくりかた〉
質問づくりの4つのルールを説明する。
学習指導要領を「問いの焦点」にする。
質より量を強調する。まずは班で問いを出す。
思いついたら言葉にする。そのまま書く。
話し合わない、評価しない、答えを言ったりしない。
10分程度で全体が落ち着きはじめる。なかなか取り組めない生徒が2名いるが、まずは干渉しない。
その後、全体で交流、共有。また班に持ち帰るジグソー法のイメージ。積極的に交流する生徒が全体にも良い雰囲気を与える。少しサボっていた生徒も動き出し、どんな問いが出た?と質問している。
学習指導要領を全て読み問いを出し終わったところで、クローズドクエスチョンとオープンクエスチョンの説明をする。友達に週末の部活の試合結果を聞くとしたらどうするか?
昨日の試合は勝った?負けた?→クローズドクエスチョン
昨日の試合はどうだった?→オープンクエスチョン
実際に自分の問いを検討する。
ク、オと印をつけ区別する。全てオープンクエスチョンだ!と言う声が聞こえる。
次にクローズドクエスチョン→オープンクエスチョン、オープンクエスチョン→クローズドクエスチョンに作り変えるトレーニングをする。
シダ植物とコケ植物の違いは何か?→シダ植物とコケ植物に違いはあるか。
クローズドクエスチョンとオープンクエスチョンの特性を理解し始める。クローズドクエスチョンにすると得られる情報が少ないよね。などと聞こえてくる。最後に、問いの数を数えて終了!
②ミニレッスンNo1より、問いを選び、計画を立てることを説明する。
作りだした問いを焦点にした学習指導要領ともう一度つなぎ合わせる。
その問いで学習指導要領という目標を全て達成する事が出来そうか吟味する。問いを選ぶ「基準」は、(目標が達成できる問い)とする。問いと、問いの出所を線で結ぶ。偏りなどが見える化する。問いが出せていない部分からもう一度問いをつくり出すことを促す。
仲間同士でのピアカンファランスをした後、ノートに問いを書き出す。優先順位の高い問い、優先順位の低い問いを区別して2グループに分ける。グループには自由に名前をつけてもらった。スタメン、リザーブ。一軍、二軍。基本的な問い、発展的な問い。など様々。
問いをノートに書き出せたところで終了。
授業びらき①
そうだった。
マインドマップをちゃんと勉強しようと思っていたのだった。
授業びらき
まずアンケート
→問いを探しに外へ行く(芝生ゾーン集合)
→問いについてミニレッスン
→風が気持ちが良いという発言を拾う
→なんで風が気持ちがいいの?と問い返す。
→喉乾いた、暑いという発言を拾う
→なんで喉が乾くんだろう?と問い返す。なんで暑いんだろう問い返す。
→運動したからという言葉を拾う。
→なんで運動すると暑くなるんだろう?と問い返す。
→一同沈黙(雰囲気良し)
→問いから学ぶってこんな感じねと共有。
→それじゃあ残りの時間で問いを探して来てね。最後に共有するから。と伝える。
→ねっ転がってもいいですか?という質問には寝っ転がらないとわからないこともあるよねと伝える。
→問いがぽろぽろ出始める
→草と土はなぜ温度が違うのか。(←寝っ転がったからわかったことだね!)イチョウの木の表面はなんでボコボコしてるのか。年輪はどうやってできるのか。花はなんでできるのか?草と木の違いは何か…その他たくさん!
→最後はグループに分かれておしゃべり
まぁ、そんな感じです。
反省もありですが、また明日から楽しもーーと!
私たちは子どもに何ができるのか
私たちは子どもに何ができるのか――非認知能力を育み、格差に挑む https://www.amazon.co.jp/dp/4862762468/ref=cm_sw_r_cp_api_.bOPAbR3NKASH
これは良かった。
みんなで読みたい本。
前書きでは、貧しい人の支援を政府が行うべきという質問に、日本人ではそうは思わないと答えた人が38%で諸外国の5倍近くだという。この悲しい事実をどう受け止めようか。でも、その現実を肌で感じている人も少なくないと思う。
この本が中心において育もうとしているのが非認知能力。それって何?という人も多いはず。
この本ではその辺りも丁寧に論じてくれている。
例えば、やり抜く力、好奇心、自制心、楽観的な物の見方、誠実さといった気質など。
トレーニングで育めるものではない。
じゃあどうする?それぞれの場、役割で何ができる?を考えるきっかけになる一冊。
おススメです。
作り続ける
この単元はレポートを提出するというのをやめてみました。
今回の課題は「誰かに伝える何かをつくること」。少し抽象的過ぎて子どもたちは迷ってました。発散しすぎて崩壊寸前だったぜ。。ふぅ
若干、方向修正をして、子どもたちから発表というかたちが良いとリクエストがあったので、発表に変更しました。「人に伝える」ということが学びにもたらす変化は大きいんだね。そのためにものを作り出すかたちが生まれて良い感じになってきた。
最終成果物を提出するのではなく、プロトタイプを作り続けるというのは面白いね。
今注目してるのはリニアモーターカーを作ろうというプロジェクト。面白いのはこの子たちはリニアモーターカーの原理は調べないということを自分達に課していること。もちろん、磁力で浮いてることは知っているけどね。調べてわかることは調べようという前提ではなく、自分達でどこまで迫れるかってところにワクワクしてるのがいい。タブレットやらですぐに調べたくなる子も多い中、こういうチャレンジもありだな。
最後の発表が非常に楽しみ。
別にうまくいかなくてもいいんだよね。
プロセスにも目がいくようになったのが大きいところなのよ。
困った時は…
生徒に聞く。
これ。大原則と言ってもいいかもしれない。
だって主役は生徒なんだもん。
授業の提供者にはならないように。
そんな時はこう言ってみるのもアリだと思う。
先生はこんな風に思ってるんだけど、みんなはどう思う?って
空気が、ほわん!っとします。
お?うちらの意見を聞いてくれるみたいだぞ!って
グッと学びを引き寄せるよね。
実はちょっとうまくいかないなぁと思うことがあって、仕切り直しをしました。このうまくいかない歴史的瞬間を目の当たりにした仲間も数名おります。
いやぁほんとにすごい。授業って生き物だ。
こういう時は、ごめんごめん!ちょっとこのままだとまずいからみんなの知恵をちょっとかしてくれないかい?と謝るしかない。潔く。
今回うまくいかなかったのは、生徒もだんだん慣れてきて無自覚に学ぶようになっていたこと。悪い意味で。もちろん良い時もあると思うけどね。自分で責任をもって選んでいないんだたぶん。そこを確認しました。自分で選ぼうぜと!
最終課題については、発表という形を採用。
人に伝えるって思うと学び方が変わるからと生徒たちの話し合いで出てきたから。
さすがだなぁ。
宛先のない手紙は書けないよなぁ。
それに宛先が先生だけのレポートや課題はもったいないぜ!
良い1週間になりましたとさ。
道徳ローテーション
ずっと計画していた道徳ローテーションが実施に至りました。
実は道徳担当なボクです。
道徳がどうも好きになれないので、あえて道徳担当になりました。好きになれる道徳を自分で作れたらいいなと思ってね。でもちょっとは好きになった気がします。今のところしっくりきてるのは哲学対話なんだけど。。
道徳ローテーションとは、担任クラスの道徳を受け持つのではなく、学年教員全員で道徳の授業を持ち回ることです。中学は教科担任制ですが、道徳に関しては担任がやることがほとんどです。しかし、多様な生き方に触れる道徳こそさまざまな教員が関わるべきですよね。
こういう自分1人ではできないことって、簡単に思えて意外とハードルが高い。。
自分のクラスを閉じてしまう人からすると、担任クラスは自分がしたい、他の先生に授業されたくないというような思いが結構強いんです。中学の文化なのかな?
でも、みんなにとってメリットがあることは、みんなでやれた方が絶対にいいですよね。
道徳ローテーションのメリットはいくつかあると思いますが、①大人も流動的になれること。②時間的なゆとりが生まれること。この2つが大きいと思います。
①に関しては、固定化した人間関係の負の影響は子どもたち同士だけでなく、大人に対しても同じ。特に、担任という影響力が大きい存在(僕たちはこの影響力をもっと自覚するべき!)ならなおさらです。子どもたちはそこにいる大人の顔色を疑って過ごしてることって多いですよね?でもそれが続くと段々と当たり前になって、身体に刷り込まれて、反射的に振る舞うようになる、それが日常になっていく、、怖すぎます。
日頃からの関わり方、仕組みや体制にもあると思いますが、現状「担任」はすごいパワーを持っています。自戒を込めて。
そういった中で、ぐるぐると大人が変わって道徳に入れるのは良いこと。さらには、多様な視点で子どもたちを観れること。まして評価するなんて言ってるわけだからそっちの方がいい。子どものいいところは多くの大人で見てあげたいですよね。
②に関しては、ローテーションすると、1人の教員に対して1つの授業を4クラスで回せます。やっぱり一回だけってもったいない。準備は4分の1で、4回味わえる。しかも学年教員が6人なら6週間のうち2週は空くことになる。その時間は他の仕事も出来るし、授業を観にいくこともできる。これ超いい。リアルタイムで授業の話できるじゃん!費用対効果良いですよね。
というわけで、学年の仲間もとりあえずやってみよう!と言ってくれたのでした。
あぁ嬉しい。ありがたや。