日々の記録

遊ぶことと学ぶこと。学ぶことと成長すること。日々を幸せに生きること。ちょっとしたことを綴っていきます。

制約を楽しみながら、いばしょリフォームやってみた

年度はじめに教室リフォームをする先生も少なくないはず。中学でもけっこうできるんだよね。物理的な環境から学級のしくみまで自分たち作ることによって学級のオーナーシップを育む実践だ。自分たちで環境は変えられる!って実感することで、もっとこうしてみよう、こうしてみたい!って気持ちが生まれるはず。

もちろん、作ったら終わりではなくてreform(re +form)改善し続けるってところがミソなんだろう。そういった教室は仕組みもどんどんつくっていけるんだよね。公立にいた時も2週間だけこのお掃除システムでやってみよう!とかよくやってたな。(この子たちはもう高3なんだって。)

 

さてさて、本校はいつも異学年で過ごしているわけだけど、こんな時だからみんなで混ざってすごすわけにはいかず、、活動単位を制限することに。校舎内はゾーニングされ、今まで使っていたホームベース(いわゆる教室)は使えなくなった。その代わりにそれぞれのグループに教室が一つから二つ、充てがわれた。生活感はまるでない、引っ越しの初日みたいな気分だ。こうなったらリフォームからスタートしよう!ということでまずは環境づくりから2学期をはじめることにした。(教室リフォームの本家本元もいることだし笑)

 

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環境はみるみる変わる。

あぁでもない、こうでもないとやってみる。

色をつけたり飾ったりなんだり。

こういった物理的環境をつくって楽しむのは実はそんな難しくない。だって部屋の模様替えとか楽しいもんね。

ある程度の環境が整ったところで、そうじどうする?朝のつどいはどうしようか、なんてことになってくる。さっきも言ったように、このあたりがチャンスなんだろうな。子どもたちが困った時こそ、子どもに手渡す。

目に見えない環境(しくみ)をつくり始めたら、そのあとは他の子供たちも巻き込んでいけると良いな。

掃除のやり方に正解なんてないわけだから、こうやって履いて、こうやってゴミを取って、こうやってああやって、、なんてルールってやっぱり変だ。そういうルールを学年で一斉に引く、みたいなことが1番苦手なことだったなー。落ちてるゴミの数とかチェックして順位付けする清掃点検的なやつもそうなんだけども。毎回学年ビリだったな。それはまぁいいや。笑

 

そうじの仕組みを考える、学活の仕組みを考える、自分たちが仲良くなる仕組みを考える。そんなことの繰り返しが自分たちの生活をつくることに繋がっていくように思う。

 

明日の朝のつどいはジェスチャーゲームをやって遊ぶんだって!はて、うまくいくんだろうか^^夏休み明け、たくさんの制約の中、またまた学級びらきみたいな時間を過ごしています。

 

 

 

 

私はいま、どこにいて、これからどこへ行くのか。

夏に扱った大事な問いだ。

この問いに対して、ちょっとまだはっきりと書くことは難しい。

しばらく大切にしながら日々を過ごしてみようと思う。

でも、こんな問いを投げてもらって自分のあり方を深く考えることにつながっているなと思う。子どもの学びに関わるっていうことは、自分のあり方が問われるというわけで、とことん自分と向き合うと、うわ嫌だなとか、恥ずかしいなとか、もっとこうしようとか思ってしまうわけで、うん、まぁ、反省も色々しながら進んでいこうと思う。

あ、そうそう、でも自分に対してネガティヴから入ってしまうということは結構やりがちで、これってよくないよなって最近ある人と話して、ほんとそうだなと思ったところ。だから、自分や自分が関わっているモノに対しては、誇りを持って接していこうと思う。ネガティブから入って自分で自分の期待値を下げるのやめます。

 

そんなこんなでしばらくサボっていたインプットもなんだかやる気が湧いてきて、色々な本を読んでいる。特に、環境についてあらめて学び直そう。

子どもと環境について考えるということをやっぱりやりたい。

大学時代、環境教育課程で学んだにも関わらず、、僕は現場で全くといっていいほど、環境にフォーカスしたことをしていない。

せっかく、プロジェクトをベースに学ぶのだから、おまけやデザートではなく、メインとして環境をテーマに置いたプロジェクトをやりたい。

地球とのつながりを感じながら、自分が小さく変化するような学びをつくってみたい。

 

あとはあれだな。ゼミ合宿みたいなことを企画しよう。

一泊二日で、テーマを決めてみんなで学ぶんだ。

夜は天体観測をしたいな。いっそのこと、宇宙をテーマにしようかな。

日々、ゆるゆると時間が流れることが多いから、ちょっとぎゅっとした時間を過ごしてみたいな。

もう一つは、「コロナ」「ワクチン」をちゃんと扱う。

偏見に惑わされないで、「コロナ」「ワクチン」とうまく付き合いたい。

 

その上で、子どもの学びの「評価」も考えよう。

って本当は当たり前のようにやるべきことなんだけどね。これについてはまた別に書こう。楽しそうならOK!って感じで過ごしてきた僕に取ってのチャレンジだ。結局そうなってしまっていそうな予感もするのだけど。まぁ、こうして言葉にしておくことで後で見返すだろう。

 

また書こう。

外は結構な雨。

被害が大きくなりませんように。

探究理科ラジオ

いくぼさん(いくぼさんのブログはこちら→http://ikubodaisuke.blog.fc2.com)のお誘いで「探究理科ラジオ」なるものをやってみた。

ラジオといっても僕といくぼさんがzoomでおしゃべりするだけ。でも、いくぼさんが立派なDJだったのは間違いない。奥田民生までかけてくれてた。

 

僕の授業のテーマは「問いの探究」だったわけだから、このラジオも「問いの探究」であるべきよね。僕は僕なりに考えてみるけど、それは問いであり、仮説であり、結果であり、考察なのよ。

 

できれば、あの時の考察はやっぱり嘘じゃん!って言いたいくらいです。

 

僕は教室でゆるゆるワクワク楽しんでいたわけだから、このラジオもゆるゆるワクワク楽しくなければ多分何かがウソなんだろう。念のために言っておくと、結果楽しかったから虚構ではありません。

 

学習指導要領を読んで問いを出してもうまくいかないとか、発表はどうしたらいいかとか、色々な声が届いてぼくも考えたわけなんだけど、、学習指導要領を読むってのも、最後に発表するというのも一つの仮説。これから僕が、小学生と探究理科をするとしたら学習指導要領は読まないと思う。

アッと驚く体験から入るかもしれないし、本物を見せちゃうかもしれないし、映像かもしれないし、、なんもしないかもしれん!

子どもと一緒にそんなことを考えるのがまさに探究理科なんじゃ。。

 

石川晋さんが僕の教室では教具を作るということがキモだったと言っていて、そんなことも話題に。

それで僕もまた考えていたわけなんだけど、それは授業づくりのキモが教具作りということではなくて、「僕の」授業ではということになるんじゃないかなー。

だって僕は、工作好きで、どろ遊びが好きで、日向ぼっこが好きだったからさ。そりゃあ僕の根っこに紐づいた実践ならそれが本物になるでしょう。

 

ん?実践が実践者の根っこに紐づくとしたら、どんなに頑張っても結局、自分のルーツを越えられないじゃないか!と思う人もいるのかしら。

 

でもそれは早まってるんじゃなかろうか。

自分の根っこすら知らずに、どこに葉をつけるんじゃーいという気持ちです。自分のワクワクや違和感に敏感になって、自分に流れているストーリーは何かって気づくと、しっくりくることも、諦めがつくこともあるんじゃないかなぁ。

 

その上で、これからはこんなストーリーを描きたいって新しい根をはれば良いと思う。

 

一冊の本で世界が変わる人もいるし、人との出会いがエンパワーすることもあるし、旅が何かをくれることもあるし、通勤中にハッとひらめくかもしれないし、もう少し気楽に考えちゃいたい。

 

焦るとこたえを知りたくなって、こたえさがしをしちゃって、結局遠回りでしたみたいなことありそう。

 

問い探究、まだまだ続きそう!!

メタモルフォーゼっ!!

久しぶりに開いたブログ。

先日、ブログを振り返る機会があり、一つ一つの記事を読み返しては、あれこれ思い出す。

教室の匂いが蘇ってきた。

ちゃんと僕はそこにいたんだなぁ。

 

それなりに新しいものにもアンテナを張り、本当に大切にしたいものは問い直して歩いてきたつもりだけど、これぞ最先端!みたいな飛躍したものは何一つない。いつでもその教室、その子たちとちゃんと繋がった実践を一緒に作ってきたつもりです。

 

こうやって読み返す機会をくれた同僚からは、もう少し書いたらいいのに!と言われたけれど実践の記録と思って書いてきたから、四月からは本当に書けることがないんです。

 

教室が一番大切な場だと思っているから、なんだか外野からあーだこーだ言うような気がして、気が向かなかったんだな。

学びの場はいくらでもあるわけだから、古いね!って言われそうだけど、やっぱり僕は教室に対するそういったこだわりがある。温かい教室も荒れた教室も、どちらの教室でも子どもたちは毎日を過ごしている。

でも、本当は僕が今いるところも外野じゃないんだよね。僕は今できることを僕なりにやっている。今の僕だから見えてきたこともあってうまく伝えられたらいいなとは思っています。

 

 

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今日は近所の図書館へ行ったよ。

日々の絵本が楽しいね。

実家から梨が届いて美味しくいただきました。

 

ごちそうさま。

おやすみなさい。

 

 

Key O'Brienから学ぶプレイワーク

 

What did you play? どこで遊びましたか?

 


When did you play? いつ遊びましたか?

 


Who did you play? 誰と遊びましたか?

 


What did you play?何をして遊びましたか?

 


Why did you play?なぜ、遊んだのですか?

 


What do you remember about your play?

遊びについて思い出すことは何ですか?

 


How did playing make you feel?

あなたは、遊ぶことでどんな気持ちになりましたか?

 

 

 

遊ぶ理由って思いつかないなーとか、そういえば大人が周りにいた気がしないなーとか、そんなことを思う。一方で幼稚園では空箱が無限にあったけど、それを用意してくれてたのは先生たちだったのだ。

 


空き箱や牛乳パックが車や電車になるように

使い方が自由な素材のことをLoose partsという。捨ててしまえばゴミだけど、遊びの材料にすれば何にでもなる魔法の材料になるんだね。

僕も工作が好きだったからよくわかる。このお菓子の箱ちょうだいと言いながら色々想像していたからね。

 

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子どもはいつでも、どこででも遊ぶ。

遊びは子どもたちが選べるもの。

大人に邪魔をされずに、何をするか、誰とするか、どこでするか、、。もちろん大人を呼びにきて大人と一緒に遊ぶこともある。

 


プレイワーカーは基本的に、子どもから声をかけられる前に声をかけない。

あ、これはぼくが授業中に心がけていることでもあるなー!

 


遊びについて学ぶためには、遊ぶことでしか学べない。

 


さぁ、僕たちはどれくらい遊んでる??

書の世界

奥さんが書道に携わっているので、僕も墨の匂いのする生活に慣れてきました。

実は結構面白い世界だなと最近思い始めています。

そして、実は誰でも楽しめるんじゃないかなーってことも。

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そう。誰でも。こんな感じで1歳でも。

 

歳がいくつだろうと、障がいがあっても無くても関係ないんだけど、特別支援学校に通う子が書くとパラリンアートみたいに扱われるのはどうなのかなと僕の奥さんは首を傾げています。そこで、みんなでごちゃごちゃにしてボーダレスにしてみんなひとりの一人前の書家になっちゃおう!という活動も始めました。そう、だから、みんなひとりひとり本当に素敵な書家ってことよー!

 

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言葉選びを楽しんだり、おしゃべりをしたり、楽しいがいっぱい。

お稽古の風景はこんな感じ。

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かなりのカオスです。

飽きたら休む。疲れたら寝る。腹が減ったら食う。

気が乗ったら書く!

ちびっこもいる。大人もいる。みんないる。

なんかよくわからないけど楽しい時間がそこにはあるんだよ〜。

みんなもやってみたくない?

 

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功太郎の海は本当にキラキラでした。